2009/05/21

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド/キサラギ/シークレット・サンシャイン



最近、2007年の映画を続けて3本みた。

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド 2007年 アメリカ
キサラギ 2007年  日本
シークレット・サンシャイン 2007年 韓国

どれも、あの年、すごく、話題となった映画。
ゼア・ウイル・ビー・ブラッドは
アカデミー作品賞を競ったし、
キサラギは単館映画としてはロングランになったというし、
シークレット・サンシャインはカンヌ映画祭の主演女優賞をその年にとった映画。



ゼア・ウイル・ビー・ブラッドは石油王になった男のすさまじい成功欲の物語。
この映画、始まって15分ほど、会話が一つもない。
一人の男が油田を初めて掘りあげるまでを暗いカメラワークでじりじりと描く。
音楽が、前衛ジャズみたいな難しいかんじで不穏な雰囲気を高めていく。
出世欲にまみれているがそれを巧妙に隠している牧師(福音派?)と常に対峙しながら、
その都度、優位と劣位を繰り返し、
それ以外の人間を蹴散らして生きる石油王。
原油の真っ黒なドロドロしネバネバしたイメージと時折噴出す炎。
衝撃の結末と終わりのない孤独・・・
救われなくてイヤになるのに、この映画の作り手のセンスをものすごく感じてしまうとてもかっこいい映画。

シークレット・サンシャインは ライムスター 宇多丸さんが
シネマハスラーで2008年一番の映画に上げていた作品。
(2008年なのは 日本公開が・・・ということと思う)

自分のつまらない虚栄が要因で 大切な一人息子が誘拐され、殺されてしまった女 の話。
キリスト教に救いを求め、一度は救われた女。
教えのままに、汝の敵を許そうとしたことが 更に救われない自分へと落ち込んでいく。
全てのことは神が仕組んだことなのか それとも 『神』などいないのか?
救われることとはどういうことなのか。
映画では女を見守る不器用な男がいることが救いなのだけれど、
自分が本当にそんなような状態を生きていくとなれば 
誰も見守ってくれなくなるのが世の常だろうと考えてもっと、つらくなる。
このカンヌ主演女優賞をとった女役のチョン・ドヨンの演技がものすごい。
美女から醜女までくるくると顔を変えて演じていくのだ。

この、2本の映画 2時間を越える長い映画なのに長さを感じさせない上に
説明的なところが全くない。
映画の文法で
映像の中で見る者に納得させてくどくど語らないからこそ、ぐいぐい引き込まれていく。
それに対して キサラギ 。
おぐりくんファンの私でも
密室劇だからしょうがない、演劇を映画にしたからしょうがない・・・と思おうとしてもつらすぎる。
終わりにかけてのオチの部分も長すぎて
 いや、この後もっと、どんでん返しがあるのではないかとさえ思わせる始末。
そして この映画が D級アイドルの一周忌に集まったファンのオフ会という設定なのに死について語られた部分が全くない。
グラン・トリノを見たときにも思ったことだけど、
上の2本の映画では、
宗教をからめることで、不完全でも自分を省みよう、第3者の目で『死』を捉えようとする視点がある社会と
宗教をないものとして論じることを恐れ、道徳や『死』について考えることの少ない日本社会との差が映画に出ているのではないかと。
そう思うと、キサラギ が 一番 救われない映画なのでありました・・・

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