2013/01/16

ロード・オブ・ザ・リングと聖書

それにしても、いろんなブログとかレビューとかを読んでも聖書とロード・オブ・ザ・リングの結びつきを書いてるのがないんだけど、あれって私が聞いた人だけが言ってる事なのかしら??うーむ 

と思ってぐぐってみるとこういう論文にたどりつきました 


『ロード・オブ・ザ・リング』における神学 

J. R. R. トールキンの『ロード・オブ・ザ・リング』は、出版当初あまりよく売れない本だった。しかし年を経ていくうちに多くの人に読まれるようになり、今ではこの作品を知らない人はほとんどいない。今世紀の映画化によって、『ロード・オブ・ザ・リング』は世界中にその名を知らしめることとなった。 トールキンの作品は様々な要素を豊かに含んでいる。彼はミドルアースの歴史を作り、独自の言語を作り、登場人物たちの背景についても詳細に渡るまで書いた。さらにトールキンは伝説や神話、そして聖書などの要素を取り入れてこの作品を書き上げた。トールキン自身はこの作品にアレゴリーはないと述べているが、作者がカトリックの信者であったことから、作品の中に聖書的意味を見出すことは可能なものと思われる。例えば善と悪の戦い、登場人物の成長などが挙げられる。登場人物たちはそれぞれが役割を持ちながら、時折キリト的な性質に変わる。ガンダルフは戦いの後に蘇生して白のガンダルフへと生まれ変わり、フロドは他の人が負うことのできない重荷 --指輪-- を負ってモルドールへ向かう。アルゴルンはリーダーであり王でもある。サムはフロドの良き理解者であり、助け手でもある。また、最後に登場人物が別世界へ旅立つという点においては、著者が別世界The Kingdom of Heavenへ憧れていたことを示している。 トールキンはこの作品に、聖書に見られる人の賜物やキリストの姿、そして永遠の命を表わした。作品の中に深い意味を探ることは、作品を味わうという点でも、知識の幅を広げる点でも有益である。意味を知ることでより奥深い鑑賞ができ、それを共有することで、知恵も知識も深まっていくものと思われる。 

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007480978 

ガンダルフとフロドとアラゴルンは各々にキリスト的部分があるということか。 
それからホビットではガンダルフはモーゼぽい気がする。 
旅の仲間、というもの自体が聖書の物語とリンクするって事よねえ。 

しかし、本物の聖書物語を読むとキリストは旅の仲間に裏切られ続けて本当に可哀想になってきます。去年、エル•グレコを見に行って散々キリストの宗教画を見たけど、キリストの身になってみて見ると哀しくなるばかりでした。中でも私が一番見てて可哀想になるのは、ゲッセマネの祈りのとこ。 
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B2%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A&hl=ja&tbo=u&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=km71UJAIgryQBciPgPAC&ved=0CDAQsAQ&biw=1435&bih=751 
最後の最後まで誰も真剣にボスの事を考えられずに寝てしまう使徒たち。 
聖書を元に描いた物語は旅をしながら主人公や旅の仲間の成長を描いていくけど、 
本物の聖書物語は使徒達が成長するのはキリストが死んでからというのが情けなく思えるのです。そこが人間らしくていいってことなんかなあ。 
私は教徒じゃないのでそこのところはいつも不思議です

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